イランという国(30)チョガー・ザンビルのジグラット

イランという国

私たちは、イランにあるピラミッドを見るためにアフワーズという町に飛びました。ピラミッドのある場所はチョガー・ザンビルと言う所です。このピラミッドを建造した王国はエラム王国と呼ばれています。

エラム王国はアケメネス朝ペルシャ帝国以前の王国の名前です。メソポタミア文明はチグリス・ユーフラテス川周辺で興ったものですから、それは平地の文明でした。イランのクウェートに近い場所辺りにはメソポタミア文明の遺跡がみられます。アフワーズからイラクとの国境まではせいぜい30kmしかありません。イラン側はザクロス山脈に遮られそれより東側はほとんどが山地の地形をしています。

イランの油田はアフワーズの周辺にたくさんあります。1908年に油田が発見されてからこの街はイランで最も重要な工業地帯の一つにまで発展してきました。この地方の人々はイランの国の中とは言え、そのほとんどがアラブ人だそうです。アフワーズはイラン・イラク戦争で激戦地になったことがあり、街は大きな打撃を受けたそうです。

私たちは飛行場からホテルにチェックインした後、直ぐにチョガー・ザンビルに向かうことにしました。ホテルはグランド・ファジールと言い、私としては珍しく5星ホテルを予約してあったのです。イランの場合、5星ホテルと言っても料金の上限が140ドルで頭打ちになるので、あまり気にすることはありません。

チョガー・ザンビルまではタクシーで約1時間かかりました。タクシーと言ってもそれはイランの現地製造の日産パトロールです。チョガー・ザンビルは世界遺産に登録されている遺跡です。この遺跡は1935年に油田調査中に偶然発見されたといいます。やがて沙漠の中にジグラットと言われる階段状ピラミッドが見えて来ました。

このジグラットは、紀元前13世紀の中頃、エラム国の国王ウンタッシュガルがシューシを行政の中心に定める一方、宗教的中心地としてここにジグラットを建設したといいます。当時は地上50mもある巨大な建造物だったようです。現在では3段目までが残っていて、現存するエラム期の遺跡としてはもっとも保存状態がよいと言われています。

エラム王国の人々は今のイラン人、アーリア人ではありませんでした。シュメール文明(メソポタミア文明)の人々だと考えられています。今のイラン人はペルシャ帝国を築き上げたアケメネス朝からと言えます。

広大な土地の中にあって、ジグラットはそれほど巨大には見えませんでした。ツアー・ガイドはよく歴史を知っており、日時計、処刑場、給水施設など詳しく説明してくれました。このジグラット、当時は青いタイルで飾ってあったそうです。

(ジグラット見学には4WDが必要)

(ジグラットの遠景)

(ジグラットへ)

(日時計)

コメント