イランという国(45)ペルセポリス(3)アパダナほか

イランという国

★アパダナ
アパダナは謁見の間であり、属国からの使者の謁見に使われていたと言われています。高さ20mの36本の柱によって支えられていたそうです。今は12本が原型をとどめているだけです。ここで 面白いのはレリーフなんですが、なかなかいい写真が撮れないのが残念なところです。23に及ぶ属国の使者がそれぞれの国の衣装で貢物を献上する様子が彫られています。今回紹介の絵は引用です。引用文献:”PARSA PERSEPOLIS” by Werner Felix Dutz & Sylvia A. Matheson, YASSAVOLI

★タチャラ・パレス
アパダナの隣にあるダリウス一世の宮殿、これをタチャラ・パレスと呼んでいます。全体としてよく残っている遺跡と言えるでしょう。もちろん石造りの部分しか残っていませんけどね。このタチャラ・パレスは全体にこじんまりしたものです。

参考までに、ダリウス一世の碑文を紹介しましょう。ペルシャ人って賢かったんですよね。それがどうして現代では発展途上国の憂き目を見ているのでしょうか。

「これらがアフラマズダのお陰により、ペルシャ以外に手に入れられた国々である。余はこれらの国を統治した。これらの国々は余に貢物を持ってきた。これらの国々は、余が命令したように行動した。余の法律-これらの国々をしっかりと捕らえては離さぬもの。メディア、エラム、パルティア、アーリア、バクトリア、ソグディアナ、コラスミア、ドランギアナ、アラコスィア、サッタギディア、ガンダーラ、シンド、アミルギアン、スキタイ、とんがり帽子のスキタイ、バビロニア、アッシリア、アラビア、エジプト、アルメニア、カッパドキア、サルディス、イオニア、海を越えるスキタイ、スクルダ、ぺタソスを着るイオニア人、リビア人、エチオピア人、マカの人々、カリア人、・・・・・」

★百柱の間

万国の門から入り、アパダナと反対の方向にこの百柱の間があります。その名前のとおり実際に100本の柱があって大きな空間を作っていたようです。ペルセポリスの中でアパダナに次ぐ大きな建築物だったことでしょう。

この建物はアレキサンダーによって焼かれてしまったそうです。

★王墓

百柱の間の写真の遠方に見えているのはペルセポリスを作った王の一人アルタクセルクセス二世の墓です。王家の墓は後でご紹介するナグシェ・ロスタムにまとめてあるのですが、なぜかこの王とダリウス三世の墓は別なところに作られています。どうしてでしょうね、占いでもやっていたのでしょうか。

丘の中腹にあるこの墓に行くと、入口には鉄格子があり、鍵が掛けてあります。見学できないのかと思っていたら、おじいさんがどこからともなく現れて、ツアーガイドと何やら話をしています。このおじいさん墓守なのでしょうか、鍵を開けて中を見せてくれました。中には王と王妃の石棺がありました。かなり大きなものですが、その中まで覗くことはできませんでしたが、多分今となっては何もないのでしょう。

引用文献:”PARSA PERSEPOLIS” by Werner Felix Dutz & Sylvia A. Matheson, YASSAVOLI

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