イランという国(38)パサルガダエ(1)キュロス大王の墓

イランという国

紀元前550年、アケメネス朝ペルシャが成立し、紀元前546年にアケメネス朝が独立したとされています。その時の王、キュロス大王(二世)の在位は紀元前559~530年です。

今回、出張の空き時間を利用して、アケメネス朝の最初の都市を訪問してみました。ペルセポリスからさらに75km程度離れたところにあるため、どのくらいの観光客が訪れるものでしょうか。ちょっと見当がつきません。

シラーズから、ペルセポリスを脇目に、このパサルガダエに向かいましたが、経路は川に沿って上流に向かうものでした。ペルセポリスは後から造られたものですから、その前にあった古代都市に興味があったのです。

私は当時は戦乱が絶えなかったと予想したため、この古代都市は山に囲まれた天然の要塞のような場所ではないかと考えていました。ところが現地に着いてみるとそこは私の予想よりもはるかに広大な盆地のような形状をしていました。

つまり、ここに首都をおいたときには、既にキュロス大王の権威はある程度確立していたものを考えられます。大きな兵隊を進入路に配置できれば広大な土地でも防御できるものでしょう。

キュロス大王の墓の写真ではその大きさがよく分かりませんね。実際問題私は実物より小さいものを想像していました。ピラミッドに比べればはるかに小さなものですが、11mの高さがあり力強く堂々としたものです。

このお墓、キュロス大王のものと分かる以前には、ソロモンの母の墓と呼ばれていたそうです。ソロモンというのは紀元前961~922年頃のイスラエルの王の名前ですが、いったいどういう関係があるのか意味不明です。

この墓にはキュロス大王の金の棺と武器、貴重品があったそうですが、それらはアレキサンダーによって破壊されてしまったと現場の説明文に書いてありました。

私がキュロス大王に興味を持つのは、この集団が今のイラン人のルーツだと考えられるからです。紀元前8,9世紀にはイランの地はメディア王国によって統治されていました。その中のシラーズのあるファールス州に居住していた人たちが、メディア王国を滅ぼし、アケメネス朝という巨大なペルシャ帝国を築き上げたのです。

キュロス大王はまさに傑出した指導者であったようで、彼の在位中にエジプトを除くオリエントを支配するまでに至ったのです。彼が戦術的に有能であったことは疑いはありませんが、その他の分野にも多くの功績を残したことで有名です。

キュロス大王は有能な戦術家であり、高潔な名声を残し、寛大で慈悲深く、征服した土地の人々に圧制を強いたりはしなかったそうです。既存の組織を尊重し、土着の支配者にも敬意を払ったそうです。アケメネス朝はゾロアスター教(拝火教)でしたが、それを強いることもしなかったそうです。

アケメネス朝はアレキサンダーに滅ぼされましたが、アレキサンダーもその政策を模倣したと言われています。世界史上有名なバビロン捕囚という出来事がありますが、バビロニアを攻撃したときに捕囚されていたユダヤ人を解放したことは有名な話です。

キュロス大王の墓のあるパサルガダエは、彼がメディア軍を破った場所ということで、そこに王宮などを建設することにしたそうです。彼の在位中はエクバタナやバビロンを首都にしたとありますから、パサルガダエは子孫に残すための場所として選ばれたものに過ぎないようです。

キュロス大王はその後、東方に遠征し、戦死しました。その遺体がパサルガダエに運ばれ葬られたということです。

(パサルガダエ周辺の地形)

(キョロス大王の墓)

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