「知らない人に食事を与える」、このことについて考えていました。結論から言えば、日本人も知らない人でも乞われれば食事を与えることと思います。私が考えたのは、与える側よりもむしろ乞う側のことでした。
日本人ってすごく「恥」ということに敏感だと思います。「恥」を含んだ言い回しってたくさんあるでしょう。「生き恥をさらしたくない」、「恥を知れ」、「恥知らず」、「恥を忍ぶ」、「恥の上塗り」などなど。この「恥」という壁を越えないと、知らない人に何かを乞うということはできないと思います。
つまり、今の日本普通の状態で、ある人だけがお腹が空いたというような状況ってあるでしょうか。自動販売機はどこにでもあるし、食堂だってありますね。財布を忘れても、携帯電話があるから、お金など誰にでも頼めそうです。そんな状況でしょうから、災害でもない限り日本人が見知らぬ人に何かを乞うというのはほとんど考えられないようです。
ニュースで餓死した家族があるなんて知ると心が痛みますが、これも「恥」に対する気持ちが強かったのでしょうね。「恥」をかくくらいなら死んだ方がましというのは、ある意味でいかにも潔癖な日本人らしいと言えるでしょうか。
それでも、見知らぬ日本人が食事を乞うて来たら、どうするんでしょうねぇ。「この恥知らず」と追い返すか、「恥を忍んで求めている」と解釈するのは、状況次第じゃないかな。
では、外国人の場合はどうでしょう。言葉が通じないのだから事情は察するしかないでしょうね。とにかく困っているらしいということは分かるでしょう。どうして自分の家に来たのか、いろいろ聞きたいことはあるでしょうが、言葉が通じないのではどうしようもないですね。
人のいい日本人のこと、この場合、見ず知らずの外国人を助けると思います。強盗に化けるんじゃないかと考える人は少ないんじゃないかな。もっとも中東の人で髭もじゃだと日本人は恐がるから、こうはいかないかな。
でもね、中東の人、髭で恐いかも知れないけど、近くで目を見れば、人懐っこくて優しい目をしていることが分かると思いますけどね。東洋人の目の方が鋭くてきついんじゃないかな。
ということで、結論は、タイの田舎で当たり前と考えられる、「乞われたら与えるという」ことは日本でも実行されそうだということ、そして今の日本ではそういう状況は災害時をおいてあまりなさそうということでした。
ところで、タイの田舎では、みんなで助け合うという精神が強くあると思います。日本の田舎でもそうだろうと思いますね。日本とタイの違いというよりも、都市部と田舎との違いはあるかも知れません。

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