使用人のテーマの3回目です。今回は2番目のシェフのお話です。ディーンは自分の国外脱出でいろいろと忙しかったと思いますが、それでもちゃんと後釜の心配をしてくれました。スリランカ大使館の職員に人材の手配を頼んでおいてくれたのでした。
紹介された人が「カナガラジャ」という2番目のシェフです。名前が長いので「ラジャ」と呼ぶことになりました。彼はスリランカ大使のシェフとしてイランに来たのですが、どういう訳か大使が帰国した後もイランに残っていました。彼は当時38歳の既婚者で、奥様はスリランカ人、息子が一人いました。
面接ですっかり気に入った私は直ぐに働いてもらおうとしましたが、2、3日アパートに来ただけで、前の仕事に戻らないといけないと言い出しました。前の仕事はカラジ市(テヘランから50kmも離れている)の方でやっていて、建築関係だと言います。途中で仕事を投げ出されたら困ると使用人が大使館にクレームをつけたのでしょうか、ラジャはしぶしぶ戻らないといけなかったようです。
私は、いいシェフを得られるなら1か月くらい待つことは問題ないと考え、彼に1か月の猶予をあげました。1か月待つから、今の仕事をきちんと片付けてから来てくれという私の申し出にとても感謝しているようでした。彼がテヘランに来たいというのは仕事のせいもありますが、切実な問題は息子の教育ということでした。もちろんシェフとしていい腕前がありながら、建築関係の肉体労働ではもったいないとも言えますね。
彼がカラジ市に戻った後、ラジャは代わりのスリランカ人を手配してくれました。「イクバル」という20代の男性でしたが、若いにも拘わらず料理は結構上手でした。彼らは親友らしく、イクバルがラジャを差し置いて仕事を奪うというような行動には出ませんでした。イクバルも結婚していて、子供ができるというような状況でしたから、定収入は大きな魅力だったでしょうに。
1か月後、ラジャが戻って来ました。ディーンはシェフというより経営者ですが、ラジャはプロ級のシェフです。私は体重の増加を心配したものです。案の定、彼のお陰で8kgも太ってしまいました。ラジャの復帰で再びパーティなど楽しむことができました。
パーティで6人以上のお客さんになると、スリランカ人の給仕を連れて来ました。黒いベストに蝶ネクタイという姿です。大使館でやるパーティと同じように、お客さんの希望にしたがって飲み物をサービスしたり、オードブルをサービスしてくれます。外国での生活だとこういうことができるので気分がいいものです。
私は使用人が自分の生活空間にいることをまったく気にしない方です。海外での長い生活で馴れてしまったのでしょう。普段の夕食では、キッチンにあるカウンターでシェフとおしゃべりしながらの食事になります。単身赴任でもそれほど寂しい時間を過ごしていた訳ではありません。
ラジャもよく大使館など外国人パーティの準備に声が掛かっていました。他所でのパーティは彼の大事な収入になることでしょう、私には週に一日くらいの欠勤は問題ありません。
シェフの仕事の一つに私のランチの準備があります。職場に電子レンジを買っておいているので、あらかじめ用意してもらったランチを温めて食べていました。ラジャは、鶏肉、牛肉、海老、カレーなど上手く回転させて、私を飽きさせることはありませんでした。
私の帰国が決まる頃、ラジャは当局から不法滞在で捕まってしまいました。罰金を払って帰国しないといけなくなってしまったのです。ラジャもイランではいい将来がないということを見通していたのでイランを去ることには問題はないようでした。問題は罰金でした。再三の交渉の後、1,000ドルの罰金で帰国することになりました。
私の最後まで面倒をみられなかったことについて大変すまないと謝っていました。私は彼が当局との交渉中に退職金や給料を与えずにおきました。彼がお金をもってしまうと高額の罰金に妥協してしまうのではないかと心配したからです。スリランカに帰国してもお金は必要でしょう。すべてが決着したときに3年近くも働いてくれた彼にまとまったお金を支払いました。
ラジャとの付き合いはこうして終わりましたが、彼はこれまでに雇用者と心が通じたことはないと涙で私との別れを惜しんでくれました。彼には、私が言わなくても何を考えているのかが分かったようです。私は、彼のためによかれと思うことはできるだけのことをしてあげました。それを感じて彼もまた一生懸命働いてくれたのです。前任のディーンもそうですが、ラジャもとても立派な人格の持ち主でした。私がスリランカ人を好きにならない理由は見当たりません。
私の帰国のとき、ラジャがスリランカから国際電話をしてくれたことには驚きました。最後の最後まで心配していてくれたのです。
(ラジャの家族との記念写真)

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