テヘランから飛行機で約1時間半南に移動したところにあるシーラーズという都市、そこから約55km離れたところにあの有名なペルセポリスがあります。世界遺産にも指定されているイラン屈指の遺跡であるペルセポリスをこれからご案内したいと思います。
遺跡マニアの間では、「ヨルダンのペトラ遺跡」、「シリアのパルミラ遺跡」とともに「中東の3P」と呼ばれているそうです。
ペルセポリスの遺跡に向かう前に、少しペルシャについて説明しておかないといけませんね。できるだけ簡単に説明したいと思います。
ペルシャ帝国という呼び名は、ギリシャとの戦争などで有名ですからご存知のことと思います。このペルシャ帝国の始まりはアケメネス朝で、紀元前550年にメディアという先住民を打ち倒して王国を作りました。イラン人はアーリア系の民族でこのときに現在のイランの南方に移住して来ました。ジグラットなどメソポタミア文明を担った民族とは違います。現在のイランを知るにはここを起点として歴史をたどればよいかと思います。
最初の王の名前をキュロス大王といいます。サイラスとも発音されます。この後、ダリウス、クセルクセス、アルタクセルクセスなど王が続き、ペルシャ帝国の繁栄をもたらしたのでした。ペルセポリスは紀元前512年にダリウス1世が建築に着手したもので、まさに計画都市と言えるでしょう。西はエジプト、東はインドまで勢力を及ぼしたペルシャ帝国の輝かしい歴史がペルセポリスの遺跡として残っているのです。
現在のイラン人のプライドが高いというのはこのペルシャ帝国から来ていると言えるでしょう。アケメネス朝は紀元前331年にアレキサンダー大王によって滅ぼされてしまいましたが、その後再びササン朝ペルシャとして復活しました。
2500年前ののペルセポリスの様子を描いた絵を紹介しておきます。引用文献:”PARSA PERSEPOLIS” by Werner Felix Dutz & Sylvia A. Matheson, YASSAVOLI
★大階段
ペルセポリスに着くと最初にびっくりするのがその駐車場の大きさでしょうか。私は5月に1回と12月に2回行っていますが、どちらもほとんど観光客がいませんでした。これほどの観光資源を眠らせているのは実にもったいない話です。
駐車場から見るペルセポリスは山を背景に作られた石作りの要塞のよう。入場券売り場から入口にある大階段まではかなり歩かないといけません。石畳の上を進むとやがて大階段に着きます。
大階段は左右対称で、111段あるそうです。折り返している二重の階段はかなりゆったりした傾斜をしています。当時馬に乗ったまま登ったからだと言います。階段は部分的に修復されていましたが、2500年も前の石がそのまま残っています。2000年前の遺跡と言うとローマのフォロロマーノが思い出されますが、ここはそれよりさらに500年も古い遺跡なのです。
私は階段を登りながら、当時の様子を頭の中に思い描いていました。属国となった外国から使者の一行が来て、代表者は馬でこの階段を登り、アケメネス朝の王様に謁見するのです。権力の象徴であるペルセポリスの当時はさぞかし豪華絢爛としたものだったでしょう。
★万国の門
入口の大階段を登るとすぐ「万国の門」と呼ばれる門があります。これはクセルクセス王が建てたそうです。属国から来た使者たちはこの門を抜けて中の控えの間に進んでいったことでしょう。この門の装飾についている雄牛の顔は偶像崇拝を嫌うイスラム教徒によって破壊されてしまっています。
私はこの「万国の門」を見たときに映画の「ネバーエンディングストーリー」を思い出していました。旅人がゲートを通るシーンです。迷いだったか恐れだったか忘れてしまいましたが、弱い旅人はゲートにある彫像から出るビームで殺されてしまいました。私は映画のシーンでも見ているようなわくわくする気分でこの門を通過しました。
現在は石でできた柱あるいはその土台しか残っていませんが、昔は全体が大きな神殿だったそうです。屋根も天井もあったのです。多分木造なのでしょう、残念ながら現在それらを見ることはできません。
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