世界遺産(17)バムとその文化的景観(イラン)

世界遺産

2003年12月26日の大地震で崩壊してしまった「死の町アルゲ・バム」です。その後、修復目的で世界遺産の危機遺産に指定されたので、できるだけ早い時期に修復がなされることを期待しています。

イランの南東、砂漠の中と言ってもいい場所、州都ケルマーンのさらに南東約200km、パキスタンへもそう遠くないところにバムという町があります。この小さな町には「死の町」の異名を持つ廃墟があり、それがアルゲ・バム(バム城砦)です。

アルゲ・バムの起源は2000年前とも言われていています。その後さまざまな勢力争いや侵略行為に翻弄され、19世紀始めに町は完全に放棄されました。私の訪問したときには、一部修復されているものの、集落は朽ち果て、まさに廃墟と化していました。

バムの起源ははっきりしていないようですが、ササン朝(224~637年)というのが最も有力な説だそうです。一説にはアルケサス朝(パルティア)時代(紀元前250~紀元後224年)にまで遡るとも言われています。私の訪問のときに残っていた廃墟のほとんどはサファーヴィ朝時代のものだそうです。その後、町は幾度も支配者が変わりましたが、東西貿易の要として栄えてきたと言います。

しかし、その後1722年のアフガン軍包囲により、完全に放棄されることになりました。一旦、人々は町に戻りかけたこともありましたが、1810年頃にふたたび侵略を受け、廃墟の一途をたどることになったと言います。

アルゲ・バムは、南北400m×東西300mほどの広さの要塞都市で、周囲をぐるりと高い城壁に囲まれています。この城壁は全長およそ2km、9世紀頃に造られたものです。当時は数箇所に門がありましたが、現在の入口は南の通りに面した門だけです。この門は、監視台の役割を兼ねていたため、内側右の階段から登ることができ、城砦を彼方に望むその景色はダイナミックであり、また奇妙なものです。

城で最も眺めがよいのは、「長官の住居」の屋上です。屋上への階段がかなり狭く急ですが、ここを上がればアルゲ・バムの全貌が手に取るように分かります。東側には、冬期に水を引いて氷を作り、夏に利用するヤフチャール(氷室)も見ることができました。

アルゲ・バムを訪れるベストタイムは夕暮れ時、夕陽に赤く染まった廃墟がとても美しいと言われています。私の時は残念ながら夕焼けにならなかったせいか、それほど赤く染まることはありませんでした。

帰り道の用心のため、できるだけ複数で訪れた方がいいとガイドブックにありましたが、迷子になるほどの迷路とは思えませんでした。

このバムという場所、他の観光地から離れているため、ここだけを目指して行かなければならず、観光ツアーのコースから外れることが多いと思います。週に1便だけ飛行機がありますが、それでは少し不便なので、私はケルマンまで飛行機で行き、その後自動車で移動することにしました。2003年5月6日のことでした。

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